
皆さん、おはようございます。
今日の写真は軽井沢「ハレニラテラス」の小川です。
有名なので行かれた方も多いと思いますが、人が多少多くても、緑の多さと小川のせせらぎのおかげで気持ちいいです。
いつも気がついたら、ここでうたた寝をしてしまっています。
小川のせせらぎの音が波のリズムとはまた違い何とも言えず、心まで洗われる感じがします。
そして、すべては「流れている」のだなということを感じます。
小川も流れないと濁るし、水も汚くなります、もしかしたら、このさらさら流れる感じがしないと心地よく感じないかもしれませんね。
私達の体も心も同じでですね、きっと・・・
*先日はパソコンが突然つながらなくなりアップできませんでした。
先日のテーマが「ひとりひとりがたいせつな宝(神体)」という内容になりました。
私が「神体」と捉えている、神とは=いのちそのものであり、いのちの働きそのもの。
特別な捉え方ではなく「いのちそのものが神の働きである」
人間の知識や科学では、すべてのことは理解不可能な、壮大な働きのこと。
無限の可能性を秘めている働きのことと捉えています。
私達の肉体は借り物だという説は皆さんご存知だと思いますが、表面の肉体は姿形や役目、役割が違いますので、例えば、男性に産まれてきたり、女性に産まれてきたりという違いもあったりしますが、内に詰め込まれているのは全く同じものです。
神の働きそのものが詰め込まれています。
私も長年、体を通じてのお仕事をさせて頂いていますので、内部の働きの素晴らしさには、感動の連続でもあり、感謝の連続です。
よくぞこれだけ有り難いシステムをつくってくださったと・・・
知れば知るほど有り難いとしかいいようがありませんし、人間が考えてつくれるものではないと・・・(体と心と意識の関係性も含め)
「自分の内側に神がいる」という言葉はよく聞きますが、捉え方はそれぞれ違うと思うのですが、私の場合はいのちそのものが神の働きだと捉えていますのでとてもしっくりきます。
内なる神の働きは、私達をいつ、どんな時もベストな状態に導き、調律してくれる「愛」そのものだと感じています。
その有り難い「愛」に私達がどれだけ気がつき、愛を注げるか・・・
よく恋愛でも両思いだと恋は成就しますよね。
私は、全く同じことがいえるのではないかと感じています。
自分を生かしてくれている神の働きである「魂、いのち根源」とどれだけ両思いになるか、想い(意識)を一致させることができるかで人生も大きく変わってくるように思います。
それは、どう変わるかというと持たされているいのちがちゃんと地球の為、宇宙の為に有限な命ある期限内に活かされるか、どうかということ・・・
*自分の欲を超えた所・・
活かされるかどうかは、自分の持たされているこの体、心を「神の住むお家」(社)として、なるべく綺麗に掃除し続けるられるかどうかということにもなります。
お掃除が綺麗にさせていればされている程、両思いになると考えて頂けたらよいかなと思います。そうすることで、この持たされている命の意味が明確になってきます。
そして、その状態になるとよく言われるすべては「お任せ」ということがだんだんできるようになってきます。確実に・・・
今までの私達はよいか悪いかは別として、自分で自分をコントロールしながら生きている期間が長いので言葉では「任せたらいいんだ」「よし、任せよう」と思うけど、いざなるとなぜか心配、不安になってしまう。
私が思うに頭(知識)でこの事を捉えているだけだと、いつまでたっても心配、不安の感情に引きづられて身動きできなくなる(混乱してしまう)かと思います。
頭先行型で考えすぎる人は特に・・・
私の場合はいのちの働きそのもの=「神の働きであり、愛そのものである」
ということを呼吸を通して、体を緩め、メンテナンスしていくことでだんだんわかってきて、それが有り難いという感謝の気持ちに変わり、その気持ちの継続により、任せていけるようになりました。
体は正直でわかりやすいし、現実的な所でも密着しているので内なる神の働きとして、ストレートに受け取りやすいなと感じています。
そして何より、自分のいのちの為にかけた時間、お金、エネルギーはちゃんとみえる形で返ってくるからとてもわかりやすい(見返りを求めてやってきたわけではないのですが・・)
「有り難いという感謝の気持ち」と「とてつもない愛」という形で心の中で蘇ってきます。
これからも私は体を「神が住むお家」「意識(心)の乗り物」として、肉体が終わる瞬間までなるべく大切に扱ってあげようと思っています。
ということで今日は終わりにしたいと思います。
今日から3連休の方も多いことと思います。
素敵な週末をお過ごしください。