心が静かに満たされていく

皆さん、おはようございます。

 

この写真は、見事な満月と鎌倉の花火です。

 

ちょうど、江の島対岸から少し小さくはなりますが、綺麗にみえました。

みえるかどうかのかけで昨日は行ってみたのですが、水中花火までみれて大満足。

人も少なくて穴場でした。こういう表面的なことも有り難いひとつですね。

 

先日は「すべてが感謝だらけ・・・」という内容になりましたが、感謝とは表面的な感謝も含めてではありますが、私がお伝えさせて頂いているのは、表面的な感謝ではなくて・・・

 

「今、この頂いているいのちに感謝」

 

「自然界の営みに感謝」

 

「地球が休まずに廻ってくれていることへの感謝」

 

「宇宙の偉大なる愛に感謝」

 

「いのちの営みに感謝」

 

「どんな時も見守り愛を注ぎ続けてくれているいのちの根源への感謝」

 

「すべての生命体(いのち)に向けての感謝」

という見えないちからの「おかげ」に対しての感謝です。

 

例えばですが、蛇口をひねったら日本では普通に何不自由なく水が飲めます、使えます。

でもこの水を供給してくれるまでに、どれだけの見えない人の力(労力)や研究、水質管理なども含め、たくさんのおかげで当たり前のように水が使えます。

このおかげこそが感謝なのです。

 

「感謝しましょう」「感謝が大事」「感謝こそが人生をより良くする(人間関係も)」

「感謝力をつけましょう」とか言われていますが、多分、普通は表面的な感謝のことを指していると思います。

 

これも人間関係を円滑にしたり、感謝されることによってモチベーションがあがったり、自分の存在価値が認められるような気持ちになったり、これはこれでとても素晴らしい循環です。

 

この肉体を持って存在している以上は、理屈抜きに手応えがある感謝の方が単純に嬉しいのは当然のことですが、違う面から捉えると、表面的な感謝だけを求めてしまうようになるとこれも知らず知らずに「もっともっと」のドーパミン系に傾いていることになり、人の目を常に気にして、常に感謝されることばかりを無意識に追い求めるようになります。

するといつのまにか「心が疲れている自分」に気がつくことも・・・

 

これはこれで悪いことではないのですが、その時の心根が大事。

「これをしたら感謝されるかな」という心根で意識的にやっているのか「自然な形でやったことが結果、感謝される」ことになったのか・・・

 

これは同じ感謝されるでも、心に蓄積されるものが全然違ってきます。

多分、皆さんも感覚的にわかるのではないかと思います。

 

自然な形でやったことが結果、感謝されるという形での積み上げは、自分のエゴが全く介入していない状態ですから、心に蓄積されていくエネルギーは「満たされていく」とか自然に「満たされる」という状態になります

 

まさしく、昨日の満月のように静かに満ちているという感じ。

この静かに満ちている、満ちていくという状態がとても大切で「自分の心を本当に満たしていく」上でとても重要なポイントでもあります。

 

 

自分が満たされている時は心の奥底(内なる)の「静寂」さと一体になっています。

思考も、言葉も、考えも、周りの誰も何も介入していない。

 

この内なる静けさと一体になっている時に行っていることは、誰からも感謝されなくても心は常に満たされていく状態になっていきます。

 

例えば、掃除ひとつでもただバタバタと掃除をするのか、心静かな状態で掃除をするのかでも心の満たされる感じが全然違います(続けていくと全然違ってきます)

そして、何よりも終わった後やその場で過ごしている心の状態が違います。

 

よく「心を満たしましょう」と聞きますよね。

では、何の為に心を満たす必要があるのでしょうか?

どうなることが心が満たされるということなのでしょうか?

 

今日はこの質問を投げかけて終わりにしたいと思います。

 

少し意識のベクトルを内に向けていくと自分なりの答えが返ってくるかもしれません。

心静かな、静寂な自分とつながってみてください。

 

今日も最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。