身近におかれている人程「神様」です

皆さん、おはようございます。

 

犬のお散歩の途中でみつけた黄色いコスモスです。

黄色はなんだか元気なイメージ。

明るいイメージですね。

この幾重にも重なった花びらも素敵です。

 

姿形は違いますが、私達も花も元は同じ素粒子からできています。

 

同じ地球上で生きている同じいのち。愛おしいですね。

 

さて、先日は「あなたにちょうどいい」というお釈迦さまの詩を書かせて頂きました。

 

皆さんは読んで何を感じましたか?

 

本当にお釈迦様が言いたかった真意はわかりませんが、私の勝手な見解でいくと、目の前や周りに存在している人、出来事などはすべては自己を知る為(成長させてもらえる)、本当の愛を学ぶ為の有り難き、人々であり、出来事。

 

自分の周りにちゃんと自分を知るヒント、悩み、苦しみから(考え方や思い込み)解放される答えが用意されているということ。

 

一時期流行った鏡の法則。

これは本当は流行りではなく宇宙の法則のひとつなのですが、目の前に置かれている人や出来事はすべて自分を映し出す鏡であるということ。

 

日本でも昔から「ひとのふりして我がふりなおせ」という格言も残されています。

日々日常の中でのご縁(人、出来事)によって人は成長できるようなっているということ。

 

それに気がつく感性、柔軟性、素直さがあるかどうかということ。

ただ、それだけなのですが、それがなかなか難しい。その時はそうだとわかってもまた同じことを繰り返してしまう(自己否定、他否定、自責、イライラするなど)

 

 

他人であれば客観的にみれるものも特に親、兄弟、子供など関係が近ければ近いほど、学ぶという姿勢にはつながりにくくなり、つい感情が先に先行してしまう。

 

それは、自分の嫌だなと感じている所、見たくない所を嫌でも表現してくれたり、自分の思い通りにはならない、いかないことをしてくれるから・・

 

それを通じて「寛大に受け止める」「認めるとか」「許すとか」ということを通じて私達の心を広げてくれているのですが、これがまたなかなか・・・

 

実は、緩めるの語源は「ゆるす」です。

からだを緩めていくと、自分の思い込みにも気が付くようになってきて、自然と「自分を許せるようになってきます」すると、人も出来事も許せるようになり、大きく寛大にみれるようになってきます。ここが大事。

 

いのちのメンテナンスで一番の目的はここ。

呼吸を通じて緩めることで、自分が解放されていけばいくほど「自分を許す」ことができるようになってくるのです。

表面的な所でのこのことが「学びになりました」と頭止まりではなく、ちゃんと満たされていく学びに変わります。

本当の「愛」知る学びにもなるということなのです。

 

私達がこの肉体を持ってわざわざ産まれてきた目的は「愛すること」と「感謝すること」を学ぶためとも言われています。

 

嫌だなということをみせてくれた人、悔しいと思わせて頂けたことほど、反対側にある大きな愛を感じることができます。気が付くことができます。感謝につながります。

 

その積み重ねが内なる満たされた状態となり、常に愛がどの瞬間も降り注いでくれていることがわかってきます。愛によって生かして頂いているということも・・・

 

私が思うに、人は「自分の思い通りにいかない」ということ、「嫌だということ」を通じて「自分を許す」「自分が思い込んできた勘違いを認めていく」という学びをさせてもらえることで進化、成長できるようになっているのかなと思います。

なので、身近に置かれている人ほど神様です。

 

今日出会う身近な人、ご縁を頂いた人、夫婦、親、兄弟、子供を通して気が付かせてくれる

ことは何でしょうね。楽しみですね。

 

今日もお花のように明るく、元気にいきましょう。

 

ということで今日はこの辺りで終わりにしたいと思います

今日も最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。