
皆さん、おはようございます。
梅雨明けしましたね。
江の島上空の空です。
雲の形がどんどん変わっていき、昨日の空は面白かったです。
こちらはやはり高い建物がない分、空が大きい。
大きな空、広がる海、ただそれだけで有り難い。自然は偉大なり〜(^^)
さて、先日は「体を緩めるは許すにつながる」という内容になりました。
「自分を許しましょう」「愛しましょう」「受け入れましょう」と、今までどれだけ皆さんも幾度となく聞いてきたことか・・・
わかっているけど、わかっているつもりだけど・・・という方も多いかもしれませんね。
私達が同じ事を何度も聞かされるということは、本当はわかっていないからだったりします
その人自身が気がつく必要があることは何度も何度も繰り返し、わかる(頭の理解ではなく)まで続きますというか、続けてくれます。
こんな有り難いことはないです。どれだけ、愛されていることか・・・
*いい悪い関係なく続きます。
先日書かせて頂いた「緩める」とは「許す」につながるということ。
この緩めるというのは「表面的なリラックス」や「心地よさ」や「気持ちがいい」とか「ダラダラする」ということではなく、お伝えさせて頂いている「真のリラックス」。
脳波の状態が変わるまでです。
体を緩めた後でも、痛みがあったり、スッキリしないというのは、脳波の状態まで変わった「真のリラックス」にはつながっていないことになります。
今まで頑張ってきた方ほど、完全に緩めるのが実は怖かったりするのです。
なので、動かしながらでも無意識に頭でストップをかけてしまうのです。
私も今までいろんな方をみてきて、本当に思います。私もそうだったのでよくわかります。
*まだまだ私も完全開放「緩める旅(許し、愛し続ける)」は続けていきますよ〜
人は面白いもので、今までの自分から「解放されたい、許したい、愛していきたい」と思っていながら、いざなると片一方では今までの自分にしがみついていた方が安心だからというエゴの囁きに負けてしまい、解放を途中で辞めてしまい「いいや、このままで」「あるがままで〜」と開き直るパターンも・・・。気持ちはすごくわかります。
それはそれでいい悪いではなく選択は自由なので、今までの自分でいても、いや勇気を持って「緩めて、許して、愛していこう」という人生を歩こうと決めて進んでいくのも自由。
でも、体が真から緩んでくるようになると、自分の心に嘘がつけなくなるというか、誤魔化しができなくなるというか(それでも誤魔化し続けようとするのですが)、内側の本当の自分が表に出てこようという力が強くなってきます。
なので、いろんなご縁(人、出来事など)を通じて、自分の内面をちゃんとみれるように目の前にちゃんといろんなことを用意してくれるようになります。
それも段階に応じて何度もなんども・・・本当に面白いです。
そしてそのことを通じて「自分を認め、許す」ということが本当にできてくると、だんだん「愛」とは何かがわかってきます。それも「身にしみて」です。
「身にしみて」という言葉ですが、本当に真からわかったときに思わず出る言葉。
これを繰り返していくと、体と心と魂(いのちの根源)が徐々に一体となってきます。
最終的になぜか、からだにおさまるというか、からだ(いのち)が納得するというか・・
私達は、素晴らしい書物のおかげで先人達が残してくれた、いのちの活かし方や人生を豊かによりよくしていく言葉や知識、ヒントを学ぶことができます。
昔の方々の残してくださった言葉はそれこそ、体感を伴った「経験、体験」の積み重ねから
出てきた言葉。
私達は、いいか悪いかは別として、言葉や知識で知ったわかった方が先で、そこで満足し、それ以上は体感せずに終わってしまうことも多いですね。
*これは現代人の特徴で、次から次へと新しい考え(思想)探しに時間をかけてしまう
内なる智慧と一体とさせることはせずに、外ばかりを追いかけてしまう。
その方が刺激があり、表面的な所では満たされるのですが・・・
知った知識や言葉を自分の内側の内なる智慧と一体としていく段階こそが、楽しみだったりします。それが、最高に満たされることにつながったり、癒やしにつながったり・・
*これは個人の見解ですが・・
「許しは、最高の癒やしだ」と言われていた方がいらっしゃいましたが、本当にそう思います。癒やしとは「自己で満たした時にはじめて真の癒しになる」
その積み重ねこそが、内なる癒やしの智慧と結びつくことにつながる。
私はそう実感しています。
「癒す人」「癒される人」という関係性が不自然で、人は本来、自分で自分を癒す能力を持ち備えています。それを、自らで引き出していくことで真の幸せに辿り着きます。
今日も暑い一日になりそうですね。
今日も最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。