「無い」が「ある」に変わる

皆さん、おはようございます。

 

ここ何日か雨続きで家にこもり状態で写真がなくて・・・

 

以前、撮った自宅のベランダからの富士山です。

 

 

朝日を浴びて紅富士となっています。

 

いつみても有り難い。

今から寒くなり、冬になると空気が澄んできますのでより一層綺麗な富士山を拝めることでしょう。楽しみです(^^)

 

さて、今日は先日の続きで書かせて頂きますね。

先日は「意識のアンテナ、無意識のアンテナ」という内容でした。

 

実は無意識に立ててしまっているアンテナの方が今の人生に知らず、知らず影響を及ぼしていることが多いという内容でした。

 

例えば、神社などに行き、大概の方は願い事をしにいきます。

 

いえいえ、神社は感謝をしに行くところだからと人から聞き

本当の意味もわからずに感謝、感謝と思いながら神社に出か

けます。

 

でも、どちらにせよ神社に行こうと思った心根はというと・・

 

大概は自分でも気が付かず無い」の意識が奥底に潜んで

の行動であることがほとんどであるということです。

 

例えば、「幸せではない」「健康ではない」「お金がない」

「仕事がうまくいかない」「恋愛が上手くいかない」などなど

日々「無い」を感じているから、思考、行動につながるのです。

 

「無い」が奥底に潜んでいると、いつも無意識のアンテナは

「無い」になりそれが現実として現れてきます。

 

 

潜在意識という漢字をみると、潜在=潜んで在ると書きます。

潜んでいる意識ということです。

 

それも意識ではなく、無意識に潜んでいるものの方が性質上

反映しやすいようになっているようです。

 

なのでいつまでも神社に行き続けたり、パワースポットに行き

続けたりして「無い、無い」を増やすことを知らず知らずに

してしまってそれが現実に反映されることになっていると

いうことも・・・

 

話の例えから、この流れになっていますが、神社、お寺、

パワースポットにいくなと言う話でも何でもなくて・・・

 

常日頃、意識のアンテナが「無い」という気持ちが

心の奥底に潜んでいないかをちゃんとみて観ること。

それが大切に思います。

 

そして元々神社は、自分と向き合う場、自分のありのままを

観る場でもあるというふうに言われている一面もあります。

 

例えば神社には「鏡、剣、勾玉」が置かれています。

三種の神器と呼ばれるものです。

 

その中の鏡は自分のありのままを観る為で、いろんな心を

併せ持つその自分をちゃんと受け入れて認めてあげること。

 

「かがみ」の「が」「我」を取ると「かみ」ですね。

 

要するに、我も受け入れ、究極は、我など存在して

いなかったことにも気がつくこと。

 

そして私そのものは元々、神そのものであったと気がつくこと。

 

神は拝み、奉るものと分離したもの無くて、一体。

 

神に頼まなくても自分が神ということはすべて「ある」という

ことに気がつくこと。

 

これで無意識のアンテナは「ある」になるのです。

 

なので神社やパワースポットと呼ばれる所は、自分の願いを

叶えたり、幸せを願いに行くところではなく、すべてはひとつ

で「ある」ということを悟る場でもあります。

 

生かされていること、ただそれだけを感謝しにい行く所でも

あります。

 

自然界、宇宙の恩恵を知るためでもあります。

 

今、すでに幸せだということを知るためでもあります。

 

でも、あえて行く必要はありません。

日頃、その気持で過ごしているかいないかの方が重要です。

 

そうすると、神に願うとか、宇宙に願うとか、お月様に願う

とかという気持ちは消えていきます。

 

根底の意識が「無い」が「ある」に変わると、日常が更に有り難く

新鮮に感じますよ。

 

 

ということで今日は終わりにしたいと思います。

最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。