瞑想の本来の目的とは・・・

皆さん、おはようございます。

 

この写真は先日、久しぶりにプチ登山

の時に撮った写真です。

 

昨日はとても寒くて冬のような一日。

紅葉はこの木くらいでした。

 

最近、秋、春が無いに等しい。

 

日本ならではの四季の移ろいゆく楽しみが減るのは何とも寂しい感じですね。

 

それでも、木々や草花は気象の変化に対応しながら健気に頑張ってくれています。

そんなひとつひとつのいのちを楽しませて頂きたいと思います。

 

さて、今日はお休みの方も多いと思いますので少し瞑想について書かせて頂きます。

 

最近は海外の企業の影響により日本の企業、個人でも瞑想が流行りになってきています

 

その背景には「業績が上がった」「チームワークが取れるようになった」などから脳波の測定が始まり、科学的に証明された所からマスコミに取り上げられてからです。

 

それはそれで素晴らしいことなのですが、そもそも瞑想って何の為にするのでしょう?

 

流行りだから、自分の利の為(自己実現、願望成就など)、自己を整える為、心を鎮める為、悟りの境地に至る為などなど動機はいろいろだと思います。

 

瞑想の基本は「座る」という行為(本来は姿形は関係なく脳の働き状態の正常化)

 

座ることによって何がおこるかというと、まず、頭に上っていたエネルギーが下におりてきます(下腹)

 

そうすることで、脳が冷静な判断を下しやすい状態になります。

 

呼吸が落ち着きます。

気持ちが落ち着きます。

心の暴走が止まります。

*脳内伝達物質のセロトニンの分泌により・・

 

私は禅の学びをさせて頂き、一番感銘を受けたのは「只管打坐」

難しいことは考えずに、ただひたすらに座りなさい。

 

ひたすらを極めると「ただ」になる。

ということは、自然な状態に戻る(本来の生命体としての姿に戻る)

 

個人的な利が全く絡まない。

 

それこそが瞑想の本来の目的ではないかと・・・

悟ろうという気持ちもなければ、無になろうという気持ちもなければ、

これで心を鎮めようという気持ちもなければ、業績をあげようと言う

気持ちもない・・・

 

ただひたすらに息を感じ、本来のいのちそのものを感じ、戻るだけ・・・。

 

これは私が学ばして頂いた方のお師匠さんが板橋興宗禅師と言われる方で

禅の世界ではとても有名であり、最も人間味溢れる素晴らしい方だと

私は感銘を受けています。

 

その方がいつも言われていらっしゃることが「私達はただの生命反応体」

ただ坐り、息をしていることに「いのち」の喜びを感じる。

それが座禅の醍醐味であり、人が最も自然な状態に戻ることになる。

 

そして、禅とは何かと問われると・・

「ごく自然な人になること」「ごくあたりまえ」に息をしていることの

有り難さ、不思議さに身を持って感じ続けること。

 

私が今、動く禅という形でさせて頂いておりますのも、おこがましいですが

本当にこれだけなのです。

 

私達現代人は、意識、無意識に関係なく自分では気が付かない緊張が

本来のいのちそのものの働きを邪魔をいる。

 

その為に脳が冷静な判断を下すことすらできなくなっている。

不安や心配が膨れ上がっている。

 

そんな状況でおこっていることが余りにも多く感じられていましたので、

エンボディでは、まずが緩めることでの肉体の鎧を解放し、本来の心の状態を

取り戻すことで、いのちそのものを感じて生きていける状態に戻していく。

 

その為につくったというよりも、自然とこの形になったという感じです。

 

まずは、肉体の鎧を外すこと

肉体の鎧が外れると本来の心(自分のいのちに対する感謝、他に対する感謝)

が取り戻されてきます。

 

すると、心(脳)は冷静な判断の元、何が自分にとって一番大切なのかを

頭、知識、周り、自己の利益抜きに判断できるようになってきます。

 

これこそが瞑想の目的であると私自身は思ってお伝えさせて頂いております。

 

皆さんは瞑想とは・・・どうでしょうか?

どんな思いでされていましたか?・・・

 

このことに関しては、まだまだ書きたいことは山ほどありますが、

今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。

*また続きは書かせて頂きます

 

今日も最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。

 

今日は晴れの一日になりそうです。

朝、空気美味しかったですよ。

息を感じて一日を清々しくすごしましょう。