「楽しむ」と「喜び」の違い

皆さん、おはようございます。

 

この写真は先日の夕景。

自宅ベランダよりです。

 

毎日見ていても、飽きがこない夕日。

日々の日課のひとつです。

 

今日もこうして無事に一日を過ごせた奇跡に感謝。

 

日々奇跡の連続。

 

こうして息をさせて頂いていることにも改めて感謝です。

 

先日は「心の振動数」をあげるという内容となりました。

 

私達はなぜ?このいのちを持たされているか?

 

皆さんはよ〜く考えたことはありますか?

 

もちろん「楽しむ為」という方がほとんどですよね。

 

では私がいつもお話させて頂いています「喜びの為」と答える人はどのくらいいらっしゃるでしょうか?

 

「楽しみ」と「喜び」は似て違います。

 

「楽しみ」は現世的な肉体を通じての表面的なものと結びついており、「喜び」とは肉体を超えたいのちそのもの(魂)と結びついています(*どちらがいい悪いではありません)

 

いのちそのもの(魂)は楽しみは求めません。

求めるのは喜び。

 

では、いのちが求める喜びは何か?

産まれてきた目的を果たすため。

 

産まれてきた目的は、一人ひとり違います。

 

持ってきた課題(宿題)を一つ一つ片付けていくことでもあり、肉体の期間にどれだけ心の振動数をあげていく日々を過ごすか・・

 

そのとこで、地球や宇宙の為に何かしらの役目をするために肉体を持って産まれてきます。*役目は仕事とは限りません。

 

皆さんも、こういう話はよく聞く話ですよね。

 

でも、実際には頭ではわかっていても、いのちが喜ぶことに時間を使っている人は果たしてどれくらいいらっしゃるのでしょうか?

 

いのちの喜びは、持ってきた課題を一つ一つを片付けていくことの積み重ねでどんどん高まってきます。

 

課題(宿題)が片付いていけばいくほど、心は軽くなっていきます。*課題(宿題)を片付けていくヒントは日々日常の中にしかありません(出会う人、出来事などすべて)

 

「軽くなる」=心の振動数が上がり⇒体も心も人生も軽くなる

 

昨日もお伝えさせて頂いたように「心の振動数」を意識であげ続けるのは(キープ)なかなか至難だったりします

(四六時中意識を向け続ける努力も必要)

 

*課題(宿題)が少なく持って産まれてきている人は、あまり必要なかったりする人もいます。

 

その点体からのアプローチは・・・

 

わかりやすい分、意外と楽しさも加わりながら、いのちも喜ぶ、そして自然と心の振動数もあがっているという一石二鳥だったり、三鳥だったりします。

 

顔をしかめながら、課題(宿題)をひとつこなさなくても体が軽くなってくれば、何が課題(宿題)なのかも明確にみえてきます。

見事に順序よく出てきてくれます。

 

「お〜無くなった」と思ってもまた深い所から湧き上がってきたり・・・試されたり・・・

 

もうこうなるとゲーム感覚になってきます。

 

これは私の持論でもあるのですが、呼吸が深くなり、体の空間ができてくると、心の空間も広がり、客観視ができるようになってくる(柔軟になってくる)

 

魂の進化に終わりはないので、この肉体の期間に課題(宿題)をこなしながら、心の振動数をあげ続けることで更に持たされた以上の課題をこなし、その分、いのちは喜び、その喜びが地球や宇宙にとっての大切なお役目になるということ。

 

いつも申し上げています、いのちが活かされることになるのです。

 

人生を「苦と捉えて進む」か、「同じ苦なら心地よく苦を楽しみながらも、ちゃんといのちの喜びに変えていくか」・・・

 

後者の捉え方がエンボディです。

 

今日もゆっくりと息を吐き出し、心地よく一日をお過ごしください(^^)