生きづらさは純粋だからこそ・・・

皆さん、おはようございます。

 

この写真は、湯河原の幕山公園。

 

4000本もの色とりどりの梅が

咲き乱れ見事なコントラストと同時に

何となく香ってくる甘い匂い。

 

 

ここは「楽園?」と思えるほど・・・

花に囲まれるのって最高に幸せですね。

 

この後幕山まで今年始めての登山を楽しみましたよ(^^)

 

私の母は花が大好きで四季折々の花がいつも季節ごとに庭に植えられていました。

 

庭の花を見ながら香りを嗅いだり、摘み取って花瓶にさしたり大喜び。

*花瓶は牛乳やジュースの空き瓶だったりしました(懐かしい〜)

 

何だか昔って心豊かだったなってつくづく思います。

 

その頃の純粋な私に意識を合わせると素の輝きを感じます。

輝き=純粋な意識。

 

皆さんも子供の頃の自分に意識を合わせてみてください。

きっと素の純粋意識が蘇ってくることと思います。

 

自然の中にいったり、触れたり、近所の軒先の花や木々に意識がいくように

なるとくと純粋意識が取り戻されやすくなります。

 

それは元々私達は、綺麗な花や木々と同じ純粋なエネルギーを持っていること

を知っているからです。

 

だんだん親しんでいくと観た瞬間に、同調が起こりやすくなり純粋意識が徐々に

取り戻されていきます。

 

 

いのちの働きそのもの、いのちそのもは純粋そのもの。

 

自らのいのちに深くアプローチすることの繰り返しで元々の純粋意識は

自然と取り戻されていきます。

 

純粋意識が故に現実社会では生きずらかったり、ズレを感じたり、

傷つきやすかったりすることもあるかもしれませんが、それは表面上のあなた。

 

魂はあなたが純粋さを失わずにいてくれることを喜んでいるのです。

 

私は小さい頃から、何となくの生きづらさを感じてきました。

なので中学、高校と先生にも反抗しっぱなし・・

 

社会人になってからも社員として社会の枠組で働いたのはわずか1年半。

*これはいい悪いではなく、私自身は無理だったのです。

 

フリーで自分の信じた道を迷い、失敗も繰り返し、時には不安にもなり、

ひとつひとつ確認(認識を深め)もしながら、楽しんでいる今の自分がいます。

 

皆さんも、今ここにご縁を頂いているということは、同じような思いを

持たれている方も多いかと思います。

 

でも、社会の枠組みや教育が今まであったからこそ、学べたこと気づけたことは

山ほどあります。

それには大変感謝しています。

 

普通に生きていると純粋な意識は働きにくくなります。

*特に都会に住んでいると感覚を切らないと生きていけないことも多々。

 

なので身体と心のお掃除の習慣と自己との調律(チューニング)は

とても大切に思います。

 

神道では常に「罪穢を払う」と言われています。

私達が罪が深いとか穢れていると言う意味ではなく・・・

 

私的解釈は「元々の輝きを覆ってしまわぬように(純粋意識)」

 

自らで、身体も心も空間も整え、自分が整うことで皆が(全体)

心地よくなるようになればいいなという心を持ちながら日々を過ごす

ことが大切かと感じています。

 

梅の花を愛でながら、木々からの生命の輝き、無条件の愛を感じながら

そんなことを思っていました(^^)