
皆さん、おはようございます。
みてください。
今朝の太陽。
すっかりエネルギーがクリアにお掃除され綺麗。
爽快。
美しい。
今朝、太陽瞑想をしていたら、またまた泣けてきまして・・・(よくあるのですが)
変な人ですね(笑)
私はこっちが普通、やはり変(笑)
どれだけ私達は幸せの中にいるのか♡
身体の中心が天地とつながると胸が開き開放されます。
なにが開放されるかというと元々の自分。
だから今、こうして生を受けているだけで喜びで在ること。
究極を言えば、在り方とはそういうこと。
だと私は思っているというか、繰り返し自分から教えられているというか・・・
ここ何年かは「やり方」よりも「在り方」と言われていますね。
社会的な所で結果を出すにはやり方も大事です。
どちらがいい悪ではないですが、私自身は「いのちの本質とは何か」に興味が
ありますから、私の中での在り方は「今、生を受けていることが有り難い」
動物も植物も木々も究極それしかない気がしているだけです。
動物をみても瞬間、瞬間がいのちであり、喜び。
小さな雑草も草花もその瞬間瞬間が最高の生(いのちいっぱい)
春になり梅、桜が咲きだすどの瞬間も最高にいのちいっぱいなのが感じられます。
ものすごく愛しい。
太陽に向かって喜びを表現しているようで・・・
私も今日はそんな状態でした。
太陽を拝む角度、お仏壇を拝む角度、天に祈る角度。
どれも自分の内なる神聖とつながりやすくなる角度です。
私の祖母は毎日神棚に、炊きたての御飯(真っ先に)、お水をお供えしていまいた。
私もお泊りした時はその横でいつも同じように手を合わせていました。
よく考えると祖母は山に行って何かを頂く時も(例えば、この時期だとふきのとうとか)
必ず手を合わせてから頂いていました。
今考えると昔の方々はそれが当たり前だったのですよね。
多分私がこれから伝えていきたいことはこういうこと。
「いのちの喜び」
いのちが喜ぶと自然と「えがお」になります
日常が笑顔に・・
外からもたらされる笑顔も◯ですが、誰も何も介さない笑顔は💮花マルかも・・・
それは私達の中に用意されているもの活かされることになるから。
*いのちの働きそのもの(生かし、生かされている力)
昨日の新月はまさしく大掃除的だったかもしれませんね。
さあ、青空を見上げて上を向いていきましょう(*˘︶˘*).。.:*♡