
皆さん、おはようございます。
昨日はものすごく気温も上がり、
桜の開花も進むと思いきや今日、
明日は気温が低いようです。
長く桜を楽しみたいから
嬉しくもあるのですが・・
4月に桜がやはりしっくりきますが、人間都合の通りにはいかないのが自然。
だからいいのだと思います。
何もかも機械的に決まっていたらある意味面白くない。
いや、中には決まっていないと落ち着かない方も多い。
以前、エンボディにご縁を頂き通って頂いていた方、ほぼ全員といっていいほど
スケジュールがびっしりつまっていないと不安、焦り、なんか世の中から
置いていかれそう、スケジュールが空いている私は駄目的な方も多く、
これは完全無意識での根底の不安、恐れから・・・
*もちろん仕事上では決めていかないと困りますし、成り立ちません。
根底には誰でも不安、心配、恐れはあります。
ない人はいない。
でもだんだん自分を開放していくと今度はスケジュールの空白の日も
嬉しいに変わってこられていました。
面白いですね。
身体も頭もただちょっと数秒でも空っぽにしたり、
身体にも空間を広げていくことで、心にも空間(ゆとり)ができて
時間的な空白が楽しめるようになっていかれる姿をみるのは面白かったです。
今はゆとりを楽しむという時代の流れになってきていていい感じだと思います。
心豊かに過ごしている国の方々に共通しているのは「こころのゆとり」
ゆっくりお茶を楽しんだり、何もしないことを楽しんでいる。
ゆったり、落ち着いている時=静寂な自分と自然とつながっています。
昔の聖人と言われていた方々は皆共通して「静寂は宝」というニュアンス
のことを表現は違いますが言われてきている。
本当にそう思います。
自分の静寂さとつながった瞬間、何の思考も浮かばずただただ心地よい。
*そこには幸せしかない(至福)
いのちの喜び「快」とつながっている瞬間。
不安、心配、恐れなどという言葉すら出てこない、浮かばない。
本来の私達♡
内なる静寂さとつながった時人は「今ここを生きている状態」に戻れる
自分の奥底の中心の一点はざわつくこともなくいつも静寂(落ち着いている)
そこと一致する時間が日常でも多ければ多いほど人は不安、恐れ、緊張など
からも開放される。
でも大人になって内なる静寂に深くつながる体感がなければ
日常では再現できない。
頭が空っぽで何も思考が浮かばない状態なんて普通はありえないからです。
なぜかというと脳の性質は「からっぽを嫌う」だから次々に思考が湧き上がって
くるのが元々の性質。
思考は止めることが本来はできない。
*無理に止めようとすると余計に暴走する。
でもほんの数秒でもからっぽにすることを繰り返していくと内なる静寂さ
とつながるという感覚を思い出す。
*内なる静寂とつながりながら他ともつながっているという感覚が大切かと・・・
それでも思考は流れてくる。
でもそれを掴まなくなる。
本当の自分の望む思考だけを選択できるゆとりができる
「間」ができるということ。
エンボディでいつも「間」を大切にしているのはそういうことでもある。
なぜ?動く瞑想にしているかというと・・・
瞑想はするものではなく勝手に瞑想状態に至ってくるもの。
座禅もするものではなく自分に落ち着くことで本来の自分を思い出すだけ・・・
「一呼吸つく」と昔の人が伝えてくださっていたのは、自分の中心の静寂に
戻るのに呼吸を使うと戻りやすいからだと思います。
例えば、怒りが上がって来た時に「一呼吸つく」それだけで冷静さは取戻される
それは自分に落ち着くからともいえる(「我に変える」という言葉があります)
感情的になると自分も周りも気分が悪いが一呼吸おくと(間)我に帰り
正直な本当の気持ちが相手にも伝えられ、逆に和解することが多い。
そういうことを繰り返していくと脳支配の呪縛からだんだん離れてくる。
そしてだんだん呼吸というものを意識的に使わなくてもよくなる時期がくる。
でもそれまでは活用したほうが戻りやすい。
そして私達のいのちは本当は脳支配されているのがすべてではないという
こともだんだん見えてくる。
これは静寂に戻る体感を繰り返していくとだんだんとわかってもくる。
実際、今ここだけに生きている赤ちゃんは脳支配ではない。
*いのちの働きを存続するのには脳と神経系のつながりは大切です
身体に感覚を戻すということは「脳支配」の呪縛から開放されていくことにも
つながると私は体感しています。
それは内なる静寂にアプローチしやすいから・・・
今日はお休みの方も多いと思います。
ソメイヨシノの桜もちらほら咲いてきています。
少し散歩しながらいのちに触れてみてはいかがでしょうか?
「あなたの静寂の場=内なる静寂」に戻るにはとってもいいですよ。
今日も素敵な一日をお過ごしください(*˘︶˘*).。.:*♡感謝