
皆さん、おはようございます。
今年は梅雨らしい梅雨ですね。
先日は、久しぶりに糸かけを楽しみました。
テーマは「しずく」
ひとつひとつの雫が、植物や花、木々、
大地、私達を潤してくれる。
こんな雫が絵本の世界のように落ちて
くるのが見えたら楽しいですね。
そんなことを創造しているだけで楽しい。
私達は創造主と言われていますが
皆さんはそのことをどう捉えていますか?
だとすれば雫も私達が創造したから
物質となって顕れてきている。
雫も私達人間が創ることはできないけど、創造すると目の前には
顕れてくる。
なので創造した人(意識)にしか見えないともいえますよね。
*感じれない
現実社会もすべてそう。
あなたが創造したものしか顕れない。
物も人も現実もすべて・・・
いつも申し上げていますが目の前の顕れている世界は
あなたの創造したものばかり。
願いが叶っている。
思ったとおりになっている。
としたらどうでしょう。
でも中々それを受け入れるのは簡単なようで大体は更に
複雑化してしまったり、自分を攻めたり、過去を攻めたり
してしまうものです。
そして心の奥では抵抗してみたり・・(笑)
面白いことに目を醒まして行く過程で必ず導いて
くれている人(伴奏者)や師、先生、上司などなどに
反抗期のような反発期がおこります。
私も体験してきましたし、私もできるだけ受け止める
ことに努めてきました(私なりの)
きたきたぁ〜って(笑)
いいぞ〜って言う感じでしょうか・・・
そして本人がやっと自分ごととして捉え出すとおさまって
きます。
本当、子供成長も大人になったからの成長の段階も変わらない
自分も含め、本当に面白い。
それとか、もうひとつは自分ごととして捉えている「つもり」の
世界で納得してしまう。
*頭の理解で終わっている。
「つもり」の世界。
私もまだまだつもりも多いなぁ〜、多分。
すべてを完全に受け入れられたら肉体を卒業する時
なのかな・・・
今は昔の聖人と言われてきた方々の時から比べれば
地球の振動数、周波数があがっているので、今、覚醒しましょう
ブームみたいな感じになっている傾向もみられます。
覚醒ということの真の意もわからずまま・・・
なんだか情報だけが蔓延している感じがします。
まずは自分はどこに着地点を置くか
「足元をみなさい」という昔の方の格言。
足元を観る=今を観る
ちゃんと観る。
今とは瞬間の心。
今の現実。
感情は観たら放す。
現実的なことは必要なことは何かを考えて行動する(移す)
それだけしていたら、悩むことはない。
*悩むとは自分の感情について思い悩むこと。
感情は肉体と結びついているので、自分の持った感情で思い悩む
よりも、レッスン時にしているように「フリフリ」したら祓われます。
ゆっくり、心地よく息を吐き出し、新鮮で真っさらな愛のエネルギー
を吸い込む(有り難くいただくと)それだけで祓われます。
受け入れることができない=緩んでいない(芯から、真から、心から)
雨はなぜ?あるか・・・
植物、木々、大地にとっての恵みであると同時に
私達の心を洗心(洗流し)
自分の本心を聞くためのいい機会を頂いているのです。
自分の本心を聞けたら実は緩む。
6月が梅雨。
そして夏至があるのは偶然ではない。
そう思います。
ひとつの雫は同じ所に落ち続けたら、固い固い岩にも
穴をあけてしまう程のパワーがあります。
たったひとつ、何かを思い続けること(自分にとって大切なこと)
やり続けること。
それは目にはみえない力となり、いつも見えない状態で
支えてくれているのです。
だからこそ、今こうして生きている。
生きていられる。
そして生かしてもらえている。
あなたが創造した世界を生きている。
本当は有り難いことなのです。
朝、公園で紫陽花についた雫を眺めていたらこんな内容に
なりました。
着地点はいつも同じですが、刺激を皆さんに与えたいわけでない
ので、ご了解くださいませ♡
皆さんが自分にとって大切なことを思い出す、そんなきっかけに
なれば幸いです。
今日は曇りなのかな・・・
今日も皆様にとって心地よい一日となりますように・・(*˘︶˘*).。.:*♡感謝