すでにつながっている

皆さん、おはようございます。

 

曇り空の中から、チラッと顔を覗かせた、今朝の朝陽です。

 

太陽の中心から、天と地につながる光。

 

私たちの中真はこころ。

 

あえてひらがなのこころ。

 

私の捉え方では、漢字の「心」は、感情

コロコロ移り変わり掴みどころがない。

 

ひらがなの「こころ」は、精神(元々の在る質、魂)

変わることのない在り方(理とつながる)

 

ひらがなの「こ」込める(思い)

「魂がこもっている」って言う言葉があるように、こころがこもると

魂(精神)が自動的に発動する。

 

自分という枠を超えた自己(魂、大いなる力)が映し出された(創造)もの。

それが皆のこころを打つ。

 

芸術でも音楽でも・・・

 

閃きや直感からくる。

思考が静まった時(頭のおしゃべり)に、おりてくるというか

「あっ」って気づく。

 

「あっ」て気がついたことが自分にも、周りにも、結果として役にたつ。

 

この「降りてくる」っていうのは、特別なことではなくて

皆、それぞれで日々思考は降りてきています。

 

いろんな思考は流れるようにやってきています。

 

一日6〜8万回とも言われています。

凄い数の思考が流れています。

 

全部、掴んでいたら頭は爆発してしまいます(笑)

 

マインドフルネスは、やってくる思考を掴まない練習でもあります。

ですが、マインドフルネスはこういう結果が欲しいからやるっていう実利が前提。

 

リラックスしたい、仕事の生産性をあげたい、安らぎを得たい、心身ともにリフレッシュしたい

などなど

 

「〜したい」が前提にあってがマインドフルネス。

*深い瞑想への入り口

 

禅(曹洞宗 道元)の座禅は・・・

 

只管打坐。

ただ、ひたすら座る

 

座ることで、自分という「我 われ」がなくなり、天地一体とつながっていく様。

座っているそのもの=我がない(なくなっている)

 

マインドフルネスは、自分の利になるためにやる

 

座禅(特に曹洞禅)は、何も考えずにただ座る

*元々一体であることを思い出す(それすらもない)

 

究極は「〜ため」もない。

*為はいつわりとも読みます

 

何かを得るためではない。

ここが大きな違いでもありますが、社会の中でいきてくには

〜が得られるもの(利)がないと人は動かないのが普通です。

 

只管打坐の「坐」は、人の字が2つと土。

土の上に、人が坐る。

 

大地(土)とつながることで、天と通じているこのいのちの尊さを実感して

いくことにつながっていく。

 

結局は、生き生かされているこのいのちは、自分だけのものではないことが

わかってくるっていう感じにつながります

*いつもお伝えしていることにつながります。

 

あえて座らなくても、大地の上に立つ、寝転ぶ。

大地にの感覚をいつも感じながら歩いてみるとか・・・

 

それだけで、自分のこころ(精神)とつながり、おりてくる思考も

全然違ってきます。

 

皆さんも自分で試してみられるとよいかもしれません。

 

大地の感覚がないと、膝は曲がり、腰は落ち、胸は閉じて、顎はあがり

頭はボッ〜とするはず。

 

そんな時はネガティブな思考しかキャッチしていないはずです(キャッチできない)

*多分、今まで感じたことがないかもしれませんが、皆さんなら感じたこと

あると思います。

 

日常の中で大地の感覚が芽生えてくると、地球との連動も感じられてきます。

 

でもこんなことを喜びと感じられる人の方が少ないと思います(笑)

 

なので、お坊さんたちは誘惑のない、全く世俗に接しない山奥で修行を繰り返している

ともいえます。

 

今日は何が伝えたかったかといいますと、私達の「こころ」は常に天と地と共にある。

いつでもつながっているということ。

 

つながろうではなくて、つながっているということ。

*今日の写真も太陽の中心から天と地につながっています(うっすら)

 

それを想うだけで私達は幸せな気持ちにもどれる。

 

今日は満月とまたまた月食らしいです。

天体も忙しいですね(笑)

 

ではでは今日もつながっている意識をもつながら、一日愉しんでください(*˘︶˘*).。.:*♡