目が醒める=自然な状態

皆さん、 おはようございます。

 

今朝の富士山です。

*自宅ベランダからなので電柱が・・・

 

かなり久しぶりの富士山です。

 

前日の夕方からお目見えしています

夏に富士山を見れる確率は比較的少ない。

 

 

今朝も気持ちが良い。

ただただ呼吸を繰り返しているだけで幸せ。

 

呼吸を感じただ、座っているだけで自然調律が始まります

 

「只管打坐」

 

禅は、宗教を超えていると私は感じています。

*禅も3宗も大きくわけると3つの派に分かれ曹洞宗の中でも、ガチガチ派と宗教という枠を超えた宇宙観を感じる派があります

 

私がたまたまお世話になっていた宗派は、宗教の枠を超えた宇宙観を伝えて頂いて

いました。

 

それは、だいそれたことではなくて、禅を深めていくと「自然な状態(人)」に

なっていくということ。

 

当たり前が当たり前でないことに気がつけたり、

日常こそが修行であり(魂を磨く)

成長を促してくれる有難い日々なのだと気がつけたり・・・

 

そして、瞑想を深めていくと、目が醒めていく(目醒め)

*俗世で言われている覚醒は違う方向にいっている氣が・・・

 

どう醒めていくかというと・・・

自然な状態でいること(よく言われる、ありのまま)がどれだけ幸せかが

わかってくる。

 

そして、自分の自然さに気がつくと、いろんな不自然さに気がつくようになる。

(自分の不自然さも含め、周り、社会全体も・・)

 

なんといっても、身軽になる(身体も心も人生も軽くなる)感じ・・・かな

*これは私の体感でもありますが、皆さんをみていても

そのようになっていきますよ、だいたい人は・・。

 

 私の禅との出会いはまずは本。

思わず共感し続けていました(よく知っている感覚)

 

そして、丹田呼吸法を学びに行った先の先生が私の好きな

板橋興宗禅寺様のお弟子さんでした。

 

この板橋興宗禅寺さまがなぜ?好きかというと本当に自然体だからです。

*私も一度しかお目にかかったことはありませんが・・・

 

 

多分一番共感するのは、息をすることに「いのちの喜び」を感じていらっしゃること。

 

禅師さまは、理屈は充分すぎるくらいわかっていらっしゃる、それに伴う体感もしていらっしゃる。

しかも深いレベルで・・・

 

でも結局は、私達はただの生命反応体でもあり、ただのいのちそのもの。

「ただ」のということをよく口にされていた。

 

いのちそのもの。

それ以上もそれ以下もない。

究極の真理を知っていらっしゃるなと感じています。

 

「理屈はあるけど理屈抜き」

*エンボディで伝え続けていることにも通じるかなと思います

(まだまだ、深め中です)

 

禅師さまは、良寛さんに通じるものを感じます。

*真面目なお坊さんには理解不能かもしれませんね、きっと(笑)

 

ということで今日は板橋興宗禅寺さまの本より抜粋

*「坐りませんか」より・・・

 

第1章 よくぞいらっしゃいました

 

冒頭から・・・「脚下照顧」きゃっかしょうこ

「ふと自分を見失うことがあったら、まずは、

自分の身体の感触を確かめてください」

 

「そして頭が浮ついたものではなく、大地をしっかりと足の裏で感じてください」です。

 

禅師さまのお言葉。

 

人はどうしても「足」ではなくて「頭」で歩いてしまう。

 

歩きながらも足の裏は感じていない。

息もすらも感じていない。

頭の観念、頭の空想だけで生きている。

生命とは別世界で生きている。

生を味わっていない。

 

足裏で大地を踏みしめ何度も繰り返す。

すると宇宙と一つに生きていることを実感していくことにつながる第一歩だと・・・

 

そうしていくうちに、余計なものが削ぎ落とされていく。

 

でも、身体には固執はしない、利用するだけ・・・

*身体(肉体)に固執すると実は執着も強くなるのです

 

エンボディでも身体はツールとして利用させて頂いています。

それはわかりやすいから、感じやすいから・・・

そして、早いから・・・(変容)

 

お盆休みもはじまった方もいらっしゃるかと思います。

お庭や公園でもいので裸足で立って、大地を感じましょう。

 

パソコンを使っている人、座りっぱなしの人は特に大事です。

 

では今日も素敵な一日をお過ごしください(*˘︶˘*).。.:*♡

 

ちなちみ昨日の夕景です。