
皆さんおはようございます(⌒▽⌒)
今週は日曜日くらいまでは、気温高めの日が続きそうですね。
先日、通りがかりのお寺でみた桜。
木の横から花が綺麗に咲いていました。
オブジェみたいでしたよ♡
自然の木々、草花は秩序通りだけれど同じ咲き方はしない。
どの木をみても、幹の状態、花の咲き方、花の色合い、同じようで違う、違うようで同じ。
私達と根本は同じだと教えてくれます。
人も、同じようで違う、違うようで同じ。
皆(世界中の人々)同じようなことを考え、同じようなことで悩み、
同じようなことを感じ、同じように人生の四季を愉しんでいる
表面的には考え方の違いがあるようにみえても、根本的な根っこは同じ(同じ感情を握りしめ、本来の神聖さがみえなくなっている)
先日、私達は生きているだけで、生(聖)なる存在だということを書かせて頂きました。
本当にそのとおりだなと更に実感しています。
今日は仙道の教えでも同じことが書かれていますのでその中の一文
をご紹介させて頂きます。
「私は聖なる存在です」
天と地から生まれた聖なるものです
私は完全に調和と内的平和、平安の状態にあります。
私の身体、マインド、精神は健やかな状態にあります。
私の心は清く純真で愛に溢れています。
私はすべての天と1つです。
私はすべての地と1つです。
私は心を開き、その愛と光で自身を満たしています。
*すでに満たされています
「私は聖なる存在そのものです」
聖なるものとは、特別な存在ではなく生きているそれだけで聖なる存在
なかなかそうは思えなくても・・・
そうなんだと頭の片隅にでもあること。
そのこと知らないと還るルートは開くことはできないから・・・
*世の中の現状に巻き込まれ本来の自分を見失うルートしか知らない
から(無意識に集合意識の渦に巻き込まれる)
花の種をまくのと同じ。
種をまかないと根っこも、幹も、花も、実も育ちようがない
そこからしか内なる本来の在るが発動しない。
桜って聖なる気持ちを思い起こしてくれる。
不思議な木です
*日本人は特にそうなのでしょう
(明日はそのことについて書かせて頂きますね)
まだまだ桜の花残っています。
今日は、そんな気持ちで少し眺めてみては・・・(*˘︶˘*).。.:*♡
今日も素晴らしき一日をお過ごしください\(^o^)/