鏡(かがみ)

皆さんおはようございます(^o^)

 

今朝は久しぶりの雨模様になりそう。

 

これから秋もどんどん深まりゆく

 

先日の乗鞍の池。

 

晴天に恵まれ、湖の湖面に映し出された木々や山々。

 

すべては鏡

かがみの「が」が少なくなればなるほどに本来の流れと一致する

(神の働きともいいますが、特別なことではなく邪気ない純粋性)

 

邪気なきと書くと

「わたしなんて・・・とか」

「わたしはまだまだ邪気だらけ・・・とか」

 

今までの癖で抵抗をしがちな人もまだ多いかもしれませんね

 

でも、その抵抗が起こっていることを素直に認めることが

無邪気(純粋性、わかりやすい言葉では素直とか・・・)

 

どんな感情も純粋そのもの

 

自分では認めたくない深い所に眠って抑え込んで純粋に認められない、認めたくないものを映し出してくれているのが周りの人々である場合もあるし、動植物の場合も在る

 

すべては鏡

神社の鏡は我を見よ

 

それは本来の純粋な我をみよ

 

神の働きが流れている(神経系統)御姿は

神そのもの(純粋)なのだと思い出す所(一致)

 

なぜ、自分に向かってお辞儀をして

(神に向かっているように見えるが)

 

柏手を打つのか

まずひとつは音による祓い

*昔から邪気払いでは「鈴」や「柏手」や「木々」で音を出し祓い

 

そして陰の手、陽の手で自らの眠っている細胞を呼び覚まし

*陰の流れ、陽の流れを活性

 

両手を合わせ(合一)

中心なる流れ(元々在る流れ)を呼び覚ます

 

なので神社にいくと背筋が伸びる感じがする

*スッとするのはそういうこと

 

これは私自身が感じとってきたことでもありますが、

古神道の教えは本流に還るです

*神道と古神道では若干違います

 

今朝はなぜか、この写真を選択したらこの流れの文になりましたが

一人ひとりが本流に還る時

 

そこに意識が向いているならば、もう本流に還る流れに乗って

います。

 

わざわざ神社に行かなくても、いつもエンボディ後に感じる体感覚

を思い出し、太陽の方向にでも、意識を向けたい方にでも

神社の参拝の手順と同じように・・

 

1,礼をして(礼=零はゼロ(原点に還る))

*股関節から折り曲げて

 

2,柏手を打ち

 

3,両手を合わせる

 

それだけでスッと背筋が伸び、合一していく

*体感覚は体験済みなのでそれと一致させるだけ

 

その繰り返しで余計につけてきた「が」は祓われていきます

 

どこでもできる

いつでもできる

 

では、今日も素晴らしき一日をお過ごしください(*˘︶˘*).。.:*♡