
皆さんおはようございます(*^^*)
朝一番でのお寺の灰。
綺麗。
氣のいいお寺や神社は
人が気が付きにくい所(細部)まで
意識が行き届いている。
掃除の例えで
丸く掃くという
四隅まで掃く
*小学校の頃、何年かの担任の先生に
教わった記憶がある
それが4字熟語になっていて
「四角な座敷を丸く掃く」
四角い座敷を掃除するのに四隅を残して
中央だけを丸く掃いてごまかすことから、
神経の行き届かぬ仕事をすることをいうと書かれていました
*goo 国語辞典より
わたしは元々(小学校の頃)掃除に関心はなく、完全ズボラさん。
*なんとなくは片付ける
まさしく丸く掃くタイプで
母に自分の部屋を掃除にするように促されていた記憶があります^_^
でも掃除に対するスイッチ(気持ちの変化)が入った瞬間があり
ました(皆さんの中でも何かのスイッチが入った瞬間ありますね)
エアロビクスの養成講座で(もう25年以上も前のこと)
マナー講師の先生の講座があり
その先生の一言からだった
「日々の仕事(一日)に、朝の掃除の状態が映し出される」と
*家を出かけるときにきちんと掃除がされた状態あること
まだ掃除がブームになってないかなり前である
それから習慣になっている
「ねばならない」でやり始めたのではなくて自然と
人ってスイッチがはいると自然とやりたくなるもの
習慣になるまではちょっと意識的になる必要はあるが
意識が無意識に変わる瞬間がある
それは本能として
私達の内側は調和の方に働こうとしている
嫌なことも、一見、破壊的なことも
すべて調和に向かって働いているからこそ
なので整っている状態が「快」
でも「快」にとどまり続けるのではなく
「快」も進化していく(破壊、再生、安定と)
整った空間にいると私達は自然と「快」になる
散らかった空間にいると落ち着かない
これは心が落ち着かないのではなくて
細胞レベルで落ち着かない
ほとんどの人は
(感覚が麻痺してきたり、疲れ切っているとどうでもよくなる)
散らかった所が常になってくると
それはそれで快になっていく人もいる
*作家とかの人には多い
「掃除しなくても死なないから」というよく聞くセリフ
*どちらがいい悪いではないのだが
もしかしたら
言い訳だったり
抵抗(何かへの)だったり
ただ面倒くさいだけだったり
片付けるだけの元気(身体)がないだけだったり
こころが消化不良でこころが立ち上がらないだけだったり
ありのままに生きるとは
今のありのままを認めてあげること
それは掃除だけではなくて
面倒くさいなぁと思っていることがあれば
ちょっと感じてみるのも
自分をととのえていく(柔軟な中庸軸(ニュートラル))には
ヒントになったりすることもあります
苦手なことほどそういう場合もあります
「ととのう」が去年流行語になったのも
全体的に(集合意識的に)ひとりひとりが整うことが
より良き方向へ流れる(巡る)ことにつながるということが
無意識レベルで動いているということでもあるかなと思います
まぁ、単純に
自分が心地よく過ごせる時間が長いと嬉しい♡ですよね
今日はちょっとだけいつもの掃除も四隅に意識をむけて
掃除してみるのもいいかもしれません
では今日も素晴らしい一日をお過ごしください(*˘︶˘*).。.:*♡