根っこは精神(聖心)

皆さんおはようございます(*^^*)

 

この大楠は

樹齢2000年以上と言われている御神木。

 

昔の方々は木々や植物を神の依代としてきました。

*神が木々や植物を通して降りてくると

信じられ、崇め祀られていた。

 

特に樹齢が長ければ長いほど その生命力にあやかり

 

自身の健康、家族や周りの方々の健康

無病息災祈る場としていまでも信仰の対象と

されている

 

信仰というと宗教を思い出しますが

信仰の対象は本来は自分。

 

自分といういうよりも内に流れている

(木々、植物と同じ)崇高なエネルギー

*ことばでは表現できない(≧∇≦)

 

中心(中真、中神)に戻れる時間が増えれば

増えるほど(気づき、実感、認識)

 

言葉でひとくくりに表現できないものが蘇ってくる

感覚を感じ取れる

 

「感覚に頼るりすぎるな」という禅の教えもある

 

感覚・直感大事と言われている

それに頼れと・・・

 

わたしも大切にしているのだけれども

重要視はしていない(執着しない)

 

直感に関しても

自分に立ち還っている時に浮かぶ直感と

ただマインドからの直感は違うし

 

感覚もそう

 

真にまっさらになっている時って

実は直感も感覚さえもない

*沸き立ちものもない

 

皆さんもまっさら体験は日々あります

 

そう、深く眠っている時(*^^*)

 

息は続いている

意識もある(けどない)

瞬間瞬間移り変わっている

 

寝ている時の夢ではなくて

ふっと浮かび上がって目が覚める時は深いところと結びついた直感

*私的なもの(マインド)が介入していない

 

それは実行したりすると皆にとってよき流れを担う

*発明とかはそうです

 

「禅」は本来信仰ではない

特定の神様や人物をあがめるのではなく

 

生まれながらにして持つ「本来の自分(生)」に立ち還る気づきのひとつと

私は捉えている

 

わたしもお伝えしたいことと一致しているので禅のことば

を参考にお伝えしたりしています

 

禅の真意は言葉では表現できないと言われてもいますが

 

ことばで方向を示すことで

(現代人は「理」から入らないと益々混乱する人も多い)

 

個々の「生」の深いところに共鳴したり、

深い気づきのきっかけとなるのに

あえてわかりにくいことばを使われている

 

そして日々の行(掃除、洗濯も、料理もなんでも)を通じて

一心になればまっさらの体験がただの感覚体験だけでなく

 

真(理)がみえてくるきっかけになりやすく

ふとした時の直感(ことば、なげかけ)は

今に大事だったりする 

 

 

話が脱線しましたが

 

私は元々神社好きだったので

(特に人がいかない奥宮が好き)

 

今もいろんな土地に行ったときには必ず挨拶を

させて頂いています

 

今回は人は素通りしているが

気になった樹があり立ち寄ると・・・

 

ものすごいエネルギーを感じ

*カメラを向けた瞬間エネルギーが映りこんでいました

 

なんと中心に近寄ると中はほぼ空洞

 

黒に焦げている

 

もしや雷が落ちた木(樹)?

 

帰ってしらべてみると

 

やはり・・雷が落ちた木であり

 

なんと300年前だそうで

 

それもビックリ

 

それでも今もこんなに立派に成長しています

 

生命力って凄い

 

根っこさえはっていれば

どんな状況でも成長し続けられるということ

 

それを改めて教えて頂きました

 

よく「生きていればなんとなる」

と震災のときにも皆さん励まし合っていました

 

ほんとそうですね

 

人間でいうと根っこは精神

 

自分と深くつながった精神=常に根源と繋がり続けていることを知っている

 

わたしたちはひとりではない

 

み〜んな根っこでつながっている\(^o^)/

 

今日も皆様にとって最幸な一日となりますように・・・(*˘︶˘*).。.:*♡