
皆さんおはようございます(^^)
今朝、日の出前の富士山。
赤く染まった紅富士。
真空の状態から
薄青色の空に変わり
徐々に赤みを帯びていく
そして太陽の光が山々や家々に映され
空はなんともいえない淡いグラデーションに・・・
変わりゆくって愛おしい
その瞬間
その瞬間
変わりゆくからこそ美しい
瞬間のことを刹那ともいいます
禅の教えの中に「刹那生滅」という視点があります
いのちは瞬間、瞬間の連続ですが
例えとして
75分の1秒の速さでいのちはきては去り、きては去りということを
繰り返しているのだという視点。
ん〜、全然検討がつきませんが瞬きよりも早い(^^)
75分の1秒ごとに電気がついては消えての繰り返し
生死を繰り返しているようなもの
そう「息」(呼吸)
吸う(生)
吐く(死)
普段の無自覚の呼吸は
いつ吸って、いつ吐いているか意識しないとわかりません
そう刹那、刹那(瞬間、瞬間)
人は寿命がくると死んでしまうように普通は考えていますが
老いも若きも一緒
1歳でも、10歳でも、20歳、70歳、100歳でも
吸うがこなければ
吐くがこない
1歳でも吸うがこなければいのち(肉体としての)存続できない
道元さんは「ただ座れ」
そして息そのものを感じれとも言わないが
ただ座ることで息に自然と意識が向く
そう瞬間、瞬間のいのちの営みを感じる
そしてそのいのちは自分だけのものではないと感じるようになっていく
レッスンでも意識呼吸の後は「自分がしたい息をしてください」とお伝えするのは
呼吸は活動(生理反応、内呼吸、外呼吸など)
息は自らの「こころ」とつながることで自然と沸き起こるいのちの営み
「息」と伝えた瞬間に無自覚ですが音魂(振動)により
自らのこころとつながり
大いなる御心とつながり
中真に心が落ち着き
なんともいえない一体感というか「すっと通る感じ」がする
道元さんはこんな解釈はされていませんが
*わたしの感じてきた視点からのお伝え
いのちの営みの壮大さ(絶対的な愛、理)はいつも根底に
感じます
禅の伝えは読み解く人によって創造が拡がる言の波
いのちの捉え方は人それぞれ違いますからひとつの視点として・・・
そして最後に
いつどこでいのちが(肉体)終わってもそれはそれ
だからこそ大切にしたい日々の想いと行い
真面目になる必要もないのだけど(^^)
刹那、刹那のいのちであるということを
感じてあげると少し自分にも人にも優しい気持ちになれるかも・・・
そして息に意識をむけてあげる時間が増えるかも
*こころ落ち着く時間が増えます
今日も太陽燦々。
素晴らしい一日をお過ごしください(*˘︶˘*).。.:*♡